「逃げられない魚」
  

  暑い日だった。

  私は彼女と待ち合わせた喫茶店で、いつものように大好きなグレープフルーツジュースを飲んでいた。

 ここのジュースはお店で絞っていて、本物のグレープフルーツそのままの味がする。すぐに飲んでしまっては

 もったいなくて、私はゆっくりと氷をストローでつつきながら飲んでいた。隣の席ではおじさんがなにか一生

 懸命書き物をしていたし、後ろの席ではOL3人組がデザートそっちのけでおしゃべりに花を咲かせていた。

 そんな普通の、どこにでもあるようなシュチエーションだったから、私は彼女の言ったことが理解できなかった。

  「あたし、さっきまで人魚だったの」

  ニンギョダッタノ―――。反射的に嘘だと思った。そうでなければからかっているんだ。でも、私にそんなこ

 とをして、いったい何になるのだろう? 一緒に買い物に行ったり、本を貸し合ったりするような仲の私たちは

 小さな嘘はあったとしても、お互い良かれと思ってのことだし、相手を傷つけたり、苦しめたりするようなものは

 なかったはずだ。

  私はそのことの真偽よりも、彼女のことがとにかく心配になった。どっちにしろ何かあったのだろう。

 「あたしも始めは信じられなかったの。自分が人魚になるだなんて」

 私の戸惑いを感じたのか、彼女がゆっくりと話しだした。